最近は、どのお宅へお邪魔してもコーヒーでもてなして頂くことが多くなりました。
しかし、逆に緑茶などでもてなして頂くと非常に印象深く心に残るようになりました。
コーヒーだと、お代わりを出すタイミングが難しくありませんか?
「お代わりいかがですか?」
ということによって、「そろそろ退室されてはいかがですか?」と促されているような気になってしまう・・・。
これは私の考えすぎでしょうか。
親しい間柄であれば、単純にカップの中のコーヒーが空になりそうだから、お代わりはどう?と受け取ることが出来ますが、まだそれほどでもない間柄では、そうはいきませんよね。
しかし、最近知り合った東京で整体の受付をされている方は、緑茶でもてなしてくださり、お代わりを注がれてもそうは感じなかった。
これはどうしてだろう?
と振り返ってみた時、湯呑の小ささが関連しているのかなと感じました。
普段緑茶を飲む時の湯呑は、まあ、最近では、入れ物にこだわる人はあまりいませんが、結構な量が入りますよね。
しかし、接客用の湯呑は、非常にお茶の入る量が少ない。
だから、会話の途中ですっとお代わりを頂いても、違和感を感じなかった。
昔からそのような意図をもって湯呑が作られているとは思いませんが、和の文化の良さを今更ながら感じました。
しかし、最近は緑茶も放射線の影響を受けて、出荷できないものも出てきています。
これは非常に残念なことですね。
空気内に含まれる放射線量であれば、ガイガーカウンターを利用して個人で知ることが出来ますが、食品に含まれるものとなると、そう簡単に調べることはできない。
だからこそ私たちは敏感に反応したり、風評被害が出てきてしまったりするのかもしれません。
このような心配ごとのなくなる世の中に早く戻ってほしいものですね。
